電脳家族


「インターネットを始めようじゃないか」
 ついさっきの妙に格式張った意味不明の朝食開始宣言で、既に奴のアホさ加減を再認識するには十分過ぎるほどであったというのに。これまたアホさを重ねる意味不明な発言を、奴は嬉々として吐き散らした。
「いんたーねっと?」
 沈黙が一番の対策であるということは分かっていたのだ。そしてそれを好奇心のかたまりである春花がいとも容易く打ち破ってくれることも。
「インターネットですか〜」
 加えて、パソコンの使用を担う末莉が顔を輝かせて乗っていくのも。
「却下だ」
 早いところ、撒かれた種は全て回収してゴミ袋で五重に包装して有明海辺りに沈めねばなるまい。当然、俺は既知の外である寛の愚案を止めにかかった。
 ところが。
「司よ。お前は今日の情報の氾濫がもたらしている世の惨状を知っているか」
 一転して沈痛な含みを持たせた表情に切り替え(100%演技である)、俺に顔を向ける既知外。キモいので、手に持った茶碗へと顔を伏せておく。
「知らない。そんな関係のない問題よりも、今俺の目の前にいる家内の癌をどうするかの方が重要だ」
 チラリと周りを窺ってみる。ようやく生活も軌道に乗り、比較的豪華な朝食にありつけるようになった最近でも、こうして構成員みんなが集まる機会はそれほど多くない。こんな珍妙な話を持ちかけるために、奴は全員が揃うこの時を狙っていたのだろう。
「あら、そんなことないわよ司くん」
 真純さんが寛のフォローに回る。何故回る?
「昔、仕事のこともあってインターネットはよくやっていたけど、とっても便利だったわよ?」
「そうだぞ司。情報に呑まれるのではなく利用する。それこそが現代を生きる勝利者となるための絶対条件なのだッ!!」
 拳を振りかざして、狂人は絶好調だ。朝から頭痛がする。
「いんたーねっとってなに?」
「家のパソコンを世界中のパソコンと繋げるようにすることですよ」
 いささか違うような気がしなくもないが、末莉が春花に説明する。
「繋げるとどうなるの?」
「色んなことを調べたりできますし、買い物とかもできちゃいます」
「はぁー、なるほどー。ツカサ、どうして反対する?」
 分かったような分かってないような返事をしながら、感心した目で末莉を見つめること数瞬、春花はサッとこっちに向き直った。
「俺たちは生活難に見舞われてこうして共同で暮らしてるんだろ。インターネットなんて始めたら負担も大きくなる」
 シッシッと手を振って厄介払い。がしかし。
「そんなこと、ないよ」
 予想外の方向からの反撃に驚きながら目をやれば、それは準だった。
「最近は月々の料金が決まってる定額制でサービスしてる会社が多いよ。どんなに高速な回線を使っても、一万円を超えることはないと思う」
「むっ……」
 金の話にしたのが失敗だったか。俺としては金銭的な問題よりも、寛が言い出したからにはロクなことにならないという経験的危機感がやめさせたい理由だったのだが。
「仕事の関係で、あったら便利だとも思って」
 俺の言いたいことを察したのか、準が幾分申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「しかしだな……」
「私は反対よ」
 最後まで沈黙を決め込んでいた青葉がとうとうそれを破った。しかも唯一の擁護派だ。
「ほう、理由を聞こうか」
 寛は眼鏡の奥で爛々と腐った光を湛えながら、青葉を見据える。口元についたご飯粒が、現在のコイツを象徴していた。
「私が使わないようなものにお金をかけるのがまず嫌。そしてこの家を工事しないと使えないようなものを利用するのも許せない」
「それは違うぞ」
 ものすごい勢いで目玉焼きを貪りながら、器用に喋るこいつは一体何者なのか?
「我が家族は、私と愛する妻、そして四人の可愛い娘達と一人の放蕩息子の七人で構成されている。インターネットを使用することで我々が支払わなければならない月額は、私の計算では僅か六千円弱だ。一人千円にも満たない」
 まずい、青葉を畳み掛ける気だ。現在の勢力構図からいけば、賛成が末莉と春花と真純さん、そして既知外と準の五人で、反対が残り二人だ。これ以上味方を失うのは完全な敗北を意味する。誰が放蕩息子だ。
「更にぃッ! 小難しい工事などは一切不要! 雀の涙ほどの投資で、我が家に最先端のサービスが提供されるのだ! もちろん、利用する用途は幾らでもある。これを利用して金儲けをすることももちろん可能! どうだ、悪い話ではあるまい」
 非常にまずい。金儲けという言葉に反応したのか、青葉は顎に指を当てながら利益不利益を思案している。詐欺師の話術に騙されようとしているのだ!
「ダメだダメだダメだ! 俺の本能が警鐘を打ち鳴らしている! 貴様の口車には乗らんぞ!」
「フン、お前の本能ごときがどれほどのものだというのだ。リーズナブルなサービスを紹介しているだけの私が、どうして詐欺師であろうか? いや、ないッ!!」
「ダンプカーを誘導して人の家を倒壊させた者の言うことなど、金輪際信じられんわ!」
「司、声が大きい」
「キャァーッ奥さんドアを開けてー! 暴漢に襲われそうなんですぅ〜〜!」
「ええい裏声を出しながら冷蔵庫をノックするな既知外! 準も状況を理解してくれ!」
 末莉と春花と真純さんは向こうでインターネットのことについて語り合っているようだし、青葉は何やら紙で金の計算をしている。そしてこっちでは乗り気の準のフォローを背に、好き放題言い散らかす変態が俺を小突き回している。どうしてこうなるんだ?
「フッ、どうやら満場一致で決定のようだな」
「唐突に消えて声だけで喋るな! 姿を現さんか!」
『『生きては帰れんぞ!』』
「意味もなくエコーかけて謎の台詞を吐くな!」
 結局、俺だけが戦慄を感じながら、事態は進行していくのだった。








「へえ、君の家にインターネットをねえ」
 俺の勤める高級中華飯店“ろんろん”の自称店長代理、劉さんはいつものようにニコニコと腹黒い笑みを浮かべながら言った。
「結構なことじゃないか。近頃はそれで色々とできるからねえ」
「普通にする分にはいいんでしょうけど、言い出した奴が非常に問題のある馬鹿でして」
 開店前のモップがけを進めながら、無念を告白しておく。
「でも情報が大切であることは事実だよ。ウチでもインターネットは昔から使っているし」
「え? ここってそんなことしてたんですか?」
 初耳だった。でもたくさん支店もあるような店なんだから当然か。
「もちろん。この業界は正確な最新情報を効率的に入手しないと生き残れないからね。無論、インターネットだけじゃなく他の策も講じているけれど」
 他の策というのがどんなものなのか気になるが、聞かない方がお互いのためだ。この人のことだから、ロクでもない話が出てくるに決まってる。その意味では寛と共通しまくっている人だ。
「そうだ。ちょうどいいから、司くんにもウチのパソコン業務を手伝ってもらおう」
「えっ?」
 ポン、と手を打ち合わせてほくそ笑む店長。
「いや、俺は……」
 ここで昨日の忌まわしい記憶が蘇る。寛は結局強引に話をまとめ、あろうことか俺にこう言ってきたのだ。
『司。お前には全員が円滑に通信を利用できるよう、講師役を命じる。開通は一週間後になるから、基礎的な知識を修得しておくようにな』
 反論しようとしても次の瞬間には消えている。そしてその場にいた全員が寛の狂言を受け入れて、俺に期待の眼差しを向けてくる(ように感じる)のだ。
(冗談じゃないぞ。どうして俺がそんな余計な仕事を……)
「時給一割増」
「やります」
「交渉成立だね」
「げっ!」
 思わず条件反射で了解してしまった。
「……何か全てが筋書きのような気がするんですけど」
「気のせいだよ」
 世の中、金である。








 実はパソコンについては少しだけ知識があった。といっても、そこいらの超初心者機械音痴マドモアゼルに比べればちょいとマシという程度のものだ。実際に店長から講習めいたものを受けた時には、意味不明の単語の頻出に混乱を極めていた。
『ほら、そこにドクロマークがあるでしょ?』
『何ですか? この禍々しいアイコンは』
『あーあ、押しちゃったね』
『え? 何ですかその台詞と裏腹の会心の笑みは……ってうわっ!』
『ツカサちゃーん! ようこそワタシのふぉーむぷぇーじへッ! 近頃へるぷ来てくれなくてサミシ』
『…………』
『ダメだよ司くん、パソコンの電源をいきなり落としちゃ』
『あんなトラップみたいなアイコン置くなっ!』
 正直、メチャクチャ疲れる一週間だった。普段の仕事の方がよっぽど楽だ。しかしそんな俺でも何故か基本的な使い方は覚えてしまった辺り、店長はただものじゃないと思う。
 コンコン、と戸が叩かれる。
「入ってくれ」
「失礼しまーす」
 寛の謎の計らいで通常より数週間も早く開通となり、めでたく今日から高屋敷家にブロードバンドが導入された。そして即座に始まったインターネット短期講習、第一回目の受講者は末莉。まあこやつは家内でパソコンの使用頻度が一番高く、基本的な操作法は既に知っているのであまり手間取らないだろう。
 基本的に受講の順番は希望順だ。よって末莉、真純、春花、青葉、準となっている。寛には教えてやる気もサラサラなかったし、元より奴はその程度の技術はとっくに使いこなせるだろう。
「ふつつかものですが、よろしくお願い致します!」
 末莉はニコニコとパソコンの前に座り、深々と頭を下げる。
「口元にケチャップついてるぞ」
「ほぇっ!?」
 俺の指摘にわたわたと慌てながら、机にあったティッシュを取る。
「晩飯を慌てて食うからだ。子供かお前は」
「だって楽しみだったんですよー」
 パソコンが置かれているのはここ、春花&末莉の部屋だ。部屋主の部屋で部屋主を待つ(すごい日本語だ)というのも何か変な感じだったが、まあそれはいいとして。
「で、そもそもお前はインターネットの利用法ぐらいお手の物なんじゃないのか? 一番若いんだし、学校で使ったりしないのか」
「あ、はい。確かに学校には環境があるんですけれど、何だか恥ずかしいのでやってないんです」
「ふむ」
 でも件の意気込みからして、全く無知というわけでもあるまい。
「じゃあまあ……末莉はインターネットで何をやりたいんだ?」
「えっと、そうですね。とりあえず、ページを色々と見て回りたいです」
「分かった。じゃあ基本的なものを教えておく」
 手始めにブラウザの起動の仕方、そしてブラウザの各アイコンの意味、検索エンジンの使い方、掲示板・チャットの使い方、一般的なサイトのレイアウトの解説などを、順を追って説明した。さすがに末莉は飲み込みが早い。
「ここはなんですか?」
「あーそれか。それは“2ちゃんわろ”っていう、掲示板ばっかりのサイトだ。少々デンジャラスな危険を孕んだ超有名サイトだな」
 と、店長は言っていた。
「へえー。あ、こっちに掲示板の名前のメニューがありますね。食文化……生活……趣味……たくさんあります」
「不用意にリンクをクリックするなよ。ブラクラ踏んだら大変だから」
「え、あ、クリックしてしまいました……」
「げっ」
 新しいウインドウが開き、何かが読み込まれている。そして僅かな時間が経つと、そこには煙草をくゆらせながら掠れた声で独白し始める中年男性が現れた。
「……ヨッシー野家?」
「なんだろうな、一体……」
 よく分からないので閉じる。
 最後にブックマークの仕方を教えて、今日は解散となった。








 さて。昨日はある程度予備知識のある末莉だったので簡単なものだったが、今日の真純さんはそうは行きそうにない。こちらもある程度はパソコンは扱えそうな感じだが、真面目に学習をしようという意欲及び態度には大いなる問題がある。
「司く〜ん、まだ始めないの?」
 横で真純さんが、ゴミ箱アイコンをドラックしたままマウスをグルグル回しながら、退屈そうに口を尖らせている。
「真純さん、ネットの使い方知ってるんじゃないんですか?」
 前職は秘書だったぐらいなんだから、ネットなんてお手の物だろう。よく考えてみれば、事の発端だったあの朝でもネットの便利さについて語っていたじゃないか。
「うーん、まあそうなんだけど、メールの送受信とかしか使ったことなくて」
「でもネットは便利って言ってませんでした?」
「あ、あれね。本当はよく知らないんだけど、面白そうだったからつい賛成しちゃったの」
「…………」
 しちゃったの、じゃないぞ。あの悪魔の姦計にそんなつまらん理由で加担されては堪らん。
「怒らないで司くぅん。いいじゃない、みんなやる気あるんだから」
 ……まあ確かに、インターネットの一つや二つ始めたところで隕石が降ってくるわけでもないんだが。
「まあ分かりましたよ。じゃあ始めましょうか」
「やった〜」
「で、真純さんは具体的に何がやりたいんですか?」
 脇のマウスを取って、真純さんの前にブラウザを広げる。
「うーんとね、何ができるの?」
「何って……色々ありすぎていちいち言えませんよ」
「じゃあ、買い物とかできるよね?」
「ああ、もちろんできます」
 買い物というと、インターネットショッピングのことだな。通信販売は、最近のインターネットではかなりカバーされている。送料や代引手数料がかかるので料金はやや高めだが、便利さではこの上ない。
「じゃあ色々お買い物してみたいな」
「つっても真純さん、金あるんですか?」
「え、うん。まあそれなりに」
「何買うのか知りませんけど、とりあえず品物を紹介してるページの探し方だけ教えておきます」
「うんうん、お願いします」
 一通り、末莉の時にもした説明をしておいた。
「……で、こうすると」
「なるほど。司くん頭いい〜」
「いや、習っただけです」
「またまたぁ。へー、色んなものが買えるのね」
「まあそりゃ」
 キーボードやマウスを操作し、あちこちのサイトを見て回っては感心している真純さん。相変わらず感動に至るハードルの低い人だ。
「あら、まつたけ販売だって司くん。超特価! とか書いてるわよ」
「あー、そういうインチキくさいのはパスしといた方がいいですよ。得てしてうまい話には裏があるんですよ」
「今ならしめじタイプとしいたけタイプも漏れなくついてきます」
「は?」
「お父さんの居ない夜も満足」
「ってあんた何の紹介見てるんだ!」
 あーあー、広告があちこちで開きまくってる。
「いいですか、今後菌類に関するページの閲覧を固く禁止します」
「これは、なになに……精力増大、まむしドリンクのご案内……」
「ハ虫類に関するページも禁止だーーーー!!!」








 昨日は非常に疲れた。何というか、この一件を境に今まで生活に何の接点もなかったはずのコンピュータに向かっている時間がかなり大きなものになった。十五分毎に必ずハプニングの起きる店長の講習に(絶対事前にネタ仕込んでやがる)、夜間の短期講習。俺は望んじゃいないんだから、わざわざ俺を媒介して技術の伝達をしなくても直接店長に教えてもらえばいいじゃないか。俺を巻き込む意味はあるのか!
「お金のためでしょ」
「人の心の中にツッコミ入れないでもらえます?」
 これだから不条理キャラと同じシーンに居るのは嫌なんだよ。
「あっはっは。でも私としてもとても助かってるんだよ司くん。やはり君は見込み通り飲み込みが早い」
「そーなんですかねー」
 厨房の脇にある事務室とでもいうべきところでカチカチカタカタと端末を操作する。それなりに使い方も覚えて来て、店長の嫌がらせ(本人談ではイタズラだそうだが、明らかに度を越えている)以外では難航することもなくなってきた。
「優秀な人材に恵まれて、私は幸せだよ」
「言い過ぎですよ」
 あんまり嬉しくない。じっと座ってる仕事は退屈だ。尻も痛いし。
「ところで家の方はどうだい? うまくやってる?」
「まあなんとか。昨日は散々でしたけど」
「ふうん」
 不意に厨房で仕込みをしている店長の声に含みが篭る。
「なんですかその“ふうん”ってのは」
「いやいや。楽しんでいるようで何よりだと思ってね」
 む、なんか事実と著しく相反する妄想を膨らませているような気がする。くそ、こういう時に表情が見えないのは非常に腹が立つ。ので、さっさと情報収集の定期巡回を終わらせて、実務に戻ることにした。
「あれ、もう終わったんだ」
「ええ。遠くから変な野次を飛ばす外道を野放しにしてはおけないと思いまして」
「それは誰のことだろうね。ここの従業員にそんな心当たりは」
「あ ん た だ」
 モップの柄で足払いを繰り出す。しかし店長は何のことはなしにヒラリと跳ねてかわした。なんだかウチの疫病神に動きが似ているのが余計に腹立つ。
「別に俺は好きでやってるわけじゃないですよ」
「お金のためだけにやってるの?」
「……まあ、そうです」
「ふうん」
 目を細め、達観した風に俺を見やる。顔がにやけているので、無条件に張り倒したくなるが。
「ま、司くんは時給が上がってハッピー、私も仕事の能率が上がってハッピー、司くんのご家族も講習を受けれてハッピー。みんながハッピーなら大団円だね」
「一抹の不安は拭いきれませんけどね」
「いいじゃないか。なるようになるさ」
 わっはっはと大口を開けて笑う。リアクションするのが妙に気恥ずかしくなって、俺は寡黙にモップがけを始めた。店長もひとしきり笑い終わると、いつの間にか倉庫の方へと赴いていった。








 そんでもって今日は折り返し地点の三人目、春花だ。一見するとコンピュータから縁遠いような印象だがその実、確かに縁遠い。お約束通り、“マウス”をネズミと勘違いしてくれました。
「違うんだ。キーボードってのはあの音が出るアレじゃなくてだな」
「違うの?」
「っていうか、何故そっちのキーボードは知ってるんだ……」
「??」
 だーーーっ! そこいらの超初心者機械音痴マドモアゼル並に初心者だ。いや、春花の性格と生まれ育ちを考えれば当たり前なんだが。
「よろしい春花。君にこれからゲームを教えよう!」
「げえむ?」
「うむ」
 情報過多のこの世界で春花が生き抜く方法はただ一つ。インターネットゲームをさせるのだ!
「このサイトを見てみよう」
 そこは超有名サイト、“ヤッホー”という検索エンジンだ。検索エンジンというものは、それ以外にも多くのサービスを提供しているのが普通であり、中でもこのヤッホーではインターネットゲームのサービスが強力なのだ。
「春花はオセロできるよな」
「うん。ワタシおせろできるよ」
 休日には暇を持て余してゴロゴロしたり走り回ったりしていることが多い春花は、遊び相手(あるいは遊び道具?)として末莉を起用することが多い。その中で末莉は非常に多くの遊びを春花に伝授していることを俺は知っていた。オセロを筆頭に、トランプ、将棋、囲碁、麻雀、バックギャモン、山手線クイズなど、幅広く遊んでいるのをよく見かける。
「そんな春花にいい報せだ。なんと、インターネットを通じて世界中の人々とオセロが楽しめるのです!」
 ビッ! と人差し指で天空を指し(天井だが)、無意味に盛り上がってみる。ノリのいい春花は分かっているのかいないのか(多分後者)、同じく「おーーーっ!」と意気込んでくれる。うむ、素晴らしい。
「では早速プレイしてみましょう。面倒な手続きは俺がしてやろう」
 善は急げ、IDを取得する手続きを迅速に行う。プロバイダのメールアドレスを記入して……住所、と。氏名はあの既知外の名前でも書いてやれ。と。
「あー、ニックネームどうする。春花」
「にっくねーむ?」
「ああ。インターネットで使う名前だ」
 ニックネームのセンスもネットゲームの醍醐味でもある、というのは店長の談。あの人、何でもやってるな。
「王春花」
「いや、インターネットで本名を名乗るのはあんまりいいことじゃないんだ」
 これも店長の談。もっとも店長が言わなくても春花の場合、本名はまずい。
「んんー? 本当じゃない名前を使うの?」
「そうだ。みんな自分の名前は使わずに、気に入った名前を代わりに使ってる」
「ワタシは自分の名前好きだけどなー」
「好きでもそういうルールなんだよ」
「むー」
 どうもやりにくい。純粋なのはいいんだけど、ここはなんとか折れてもらわないとな。
「じゃあ名前を考える」
「そうだな……。別になんでもいいんだぞ。あ、でも英語と数字しか使えないみたいだな」
 注意事項のところに書いてあった。
「もうツカサに任せるよ」
「そうか?」
 とはいえ、人の名前を決めるとなると(たとえ使い捨てのそれでも)、責任重大だ。何かないか……。
「よし、じゃあ“FaCHUN”にしよう」
 単なる文字入れ替えだ。我ながら芸がない。
「うんうん、それがいい」
 そして天真爛漫な春花は二つ返事で了承した。結局のところ、本当になんでもよかったんだな。
「登録は完了した。いよいよゲームを始めるぞ」
「おーーーっ!」
 とはいえ、春花がキーボードで文字を打つことなどできるはずもなく、これではちょっと癖のあるコンピュータとオセロをしているだけのようなもんだ。
「むむむ……」
 盤上でコロコロ変わる黒と白の駒。どうも春花は戦術なく駒を置いているだけのように見える。対して相手は百戦錬磨のツワモノのようで、ドンドン春花の置くことのできるスペースが狭められていく。パスも何度も重なる。
「あいやー、負けた」
 終わってみれば盤上は全て黒になってしまった。もちろん春花の色は白である。
「……別のにしようか」
「うん」
 結局ゲームを何種類も転々と見て回り、春花は“オンバーマンボンライン”という爆弾で相手をやっつけるゲームが気に入ったようだった。
 ゲームへの接続方法を教えて、今日は終わることにした。








 次の日は祝日かつ非番だったので、昼に起きて食べるものを漁ってブラブラしていた。やがて自分はインターネットの恩恵を享受していないことに気づき(仕事だとか講習だとかばかりだった)、少しやってみようかと末莉&春花の部屋の戸を叩いた。
「はーい、どうぞー」
 中から聞こえたのは末莉の声。ガチャリと戸を開けると、ちょうど末莉がパソコンを触っているようだった。
「あ、おにーさん。どうしたんですか?」
「いや、ちょっとネットをやってみようかと思って」
「そうなんですか。じゃあどきますね」
 俺の言葉を聞くや否や椅子から立ち上がりかける末莉を、俺は制した。
「いやいい。別に何をしたいってわけでもないし、見てるだけで」
「そうですか?」
 中腰で固まった末莉が再び腰を下ろす。俺は脇にあった折りたたみ椅子を持って、末莉の隣に座った。
「使い方には慣れたか?」
「はいっ。おかげさまで楽しんじゃってます」
「ふむ」
 マウスを鮮やかに捌く末莉は、ネットサーフィンが板についてきたようだ。何とはなしにモニタを見ていること数分、
「すみませーーーん! 高屋敷さんいらっしゃいますかーーー! お届けものでーーーす!」
 と玄関から大きな声が聞こえた。若い男の声だ。この家にはインターホンもチャイムもないので、来訪者は屋内に届く絶叫で家主を呼ばなければならない状態だった。彼らにはいい迷惑だが。
「あ、私出てきます」
 行こうと思っていた俺が止めるより先に、末莉はもう部屋を飛び出してしまっていた。
「むっ……」
 ドタドタと階段を下りる音が遠ざかっていくのを聞きながら、及び腰を再び椅子へ沈める。どうにも手持ち無沙汰だ。
「ちょうどいいし、ちょっといじってみるか」
 言うが早いか、先程まで末莉が座っていた椅子に移り、マウスを手にとってみる。
「どれどれ……ブックマークは、と」
 ブックマークは階層分けされている。“ますみん”フォルダ、“ちゅんふぁ”フォルダ、“お父様”フォルダ、“末莉”フォルダ。カチカチとそれぞれの内容を眺めてみる。
 ますみんフォルダには、あらゆる通販の斡旋ページなどが大量にブックマークされていた。アクセサリーやら家電やら米やら、こいつは一体何を買いたいんだ? と思うこと請け合いだ。
 続いてちゅんふぁフォルダは、ほんの三つしかなかった。全て俺が先の講座で追加してやったゲームサイトだった。新規開拓法が分からんと見える。
「……何がお父様だよ」
 いつの間にいじっていたのか。項目を見てみれば、“美女十七分割”“新妻 ダウンロード”“お父さんにお願いッ☆”以下数十点。
「既知外だ……」
 馬鹿馬鹿しすぎるのでフォルダごと抹消してやった。ゴミ箱をクリアすることも忘れない。
「で、末莉はどんな調子かな」
 フォルダを開けてみる。テキストサイトなどのブックマークとは別の下の方に、“0”“1”“2(合)”“3”……と、謎の数字が連なっている。それも時折(合)という注釈?が入っているものもあった。
「何だこれ?」
 試しに“2(合)”を開いてみた。するとそこには、美麗な少年が逞しいオヤジに組み敷かれている扉絵が、『ババーン!』という効果音が聞こえるぐらいデカデカと現れた。「ぬおっ!!」
 慌ててブラウザを終了する。非常に精神衛生上好ましくない体験をしてしまった気がする。サイト名を番号に換えてごまかしたつもりだろうが、かえって目立つぞ。というか(合)ってなんだ(合)って。末莉よ、あれはお前にとっての合格なのか、適合なのか。いずれにせよ、俺はお前が怖いぞ。
「おにーーさーーーん」
 強烈な刺激にトリップしていた意識が、くぐもった末莉の声に引き戻される。帰って来たか、恐怖性癖少女。無意識に、身が声のする方からやや引き気味になる。
「へるぷみーーーです」
 ドア越しなのにどうしてくぐもっているのか? 立ち上がり、ドアまで歩いて開けてやる。と。
「わわわわわっ」
 雪崩のように崩れてくる末莉の声とダンボール群。俺は見事その下敷きになり、とどめとばかりに末莉がタックルをかましてくる。
「ぐほっ」
「あっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
 三つに及ぶダンボール箱はどれもそう軽いものではなかった。末莉一人が二階のこの部屋まで運んでくるのは相当な労働だったろう。
「いたた……」
「ほんっっっとーーーーーーにごめんなさい!」
 ダンボールの山から抜け出した俺が末莉を見やると、土下座スタイルで頭を床にこすりつけていた。
「気にすんなって。で、これは何なんだ?」
 箱を一列に並べ、まじまじと見つめる。それぞれには宅配屋の伝票が貼られていて、ああ……さっきの宅配の荷物か、と思いついた。
「ええええっと、おかーさん宛の荷物みたいです」
 申し訳なさそうな表情はそのままに、困惑しながら末莉は返答した。真純さん宛ならここに持ってくる必要はなかったろうに……。
「もしかして、これ全部通販の品か?」
 差出人を見れば挙ってどれも百貨店や専門店の名前が書かれていた。
「そうみたいです……」
 俺と同じように、末莉も並んだ三つのデカイ箱を順に見つめている。すると。
「高屋敷さーーーん! お届けものでーーーす!」
 再び聞こえた大声に、ギョッとする俺と末莉。俺たちは無言で頷き合うと、今度は一緒に来訪者の下へと向かった。








 そして今日は青葉の番だ。きっと一番難航する日だと思う。それは目の前に仏頂面で座るこいつを見れば瞭然だ。
「私は忙しい身なのよ。手早く済ませて頂戴」
 教えを請うはずの人がこの態度である。
「俺も望むところだ。で、青葉、パソコンを触った経験は?」
 俺が問うた刹那、喉下にひんやりとした感覚が走る。
「青葉大先生と呼びなさい」
「は、はい」
 いや刃物はやめてくれ。しかも受講する側が先生とはこれ如何に?
「正直なところ、私はやる気がまるでないのよ」
 何なんですかこの生徒?
「お金儲けなんて絵描きでいくらでも賄えるんだから、こんなものに頼る必要はありません」
 貴女のそれは正規労働ではなく恐喝及び強奪です、と言いそうになる口を噤み、打開策を捻出しようと頭を廻らせた。
「じゃあホームページでも作ってみたらどうだ?」
「ホームページ?」
「ああ。自分のページを開設して、そこに絵でも置いてみたら面白いんじゃないか」
「どういうこと?」
「同じくインターネットを利用する不特定多数の人間に閲覧してもらうんだよ」
 俺の言葉に俯き、何やら思案しているようだった。そしてやおら顔を上げると、
「面白そうじゃない。よく分からないけれどやってみましょう」
 と意外にも乗り気で応対された。実は半ば適当に出した案を採用され、動揺する。しかしこうなればもう行動に移すしかない。
「でもどうやって絵をその機械に移すのかしら?」
「あ」
 失念していた。がしかし心当たりがあった。
「真純さんが確か、通販でスキャナを買っていたな」
 例の荷物大量到着事件の夜、真純さんはひたすら謝っていた。これほど買い物して大丈夫なのかと聞いても、少しは貯金があるからと苦笑いを返すばかりだった。きっと金銭感覚が麻痺したまま買い物に興じていたんだろう。顔に縦線が入っていたのは見逃さなかった。
「スキャナ?」
「絵をパソコンに取り込める機械だ」
「ふうん」
 納得した風で、そして青葉は俺に言った。
「なら全て滞りなくセッティングして頂戴。絵は貴方に渡します」
「は?」
「ごきげんよう」
 神速で部屋を出て、バタンとドアを閉める青葉。呆然と立ちすくむ(座ってるが)俺に、次第に湧き上がる感情があった。人はそれを怒りと呼ぶ。
「どうして俺が……!」
 抗議のために部屋のドアノブに手をかけると、いきなりドアが独りでに開いた。予期しないドアの動きに俺は鼻面をダイレクトに打ちつけた。元凶は殺意の代名詞、青葉大先生だった。
「何を床にうずくまっているの? 気でも狂ったのかしら」
 あんたは鬼ですか?
「絵を持ってきたわ。後は首尾よくお願いね」
 再び閉まるドア。手渡された絵を見てみると、尋常でない精神的苦痛を催した。
「何? 何なんだ? ノーギャラで俺、この扱い?」
 しかし言ったからにはやらないと後が怖いので、しぶしぶ真純さんのところへスキャナを借りに行った。








 最後は準。こいつはとても楽に終わりそうだ。要領はかなりいいし、文句も言わなかろう。何よりこいつは俺から仕事に関わるスキルを学ぼうというのだから、間違っても茶化しはしまい。
「以上が基本的な操作法。何か質問あるか?」
 既に四人も教えた身(うち一人は数に入らんが)、コツは掴んでいた。最適と思われる簡潔な説明を終え、準に実践させる。マウスを取るように目で促していると、準はじっと俺を見つめていた。
「何だよ」
「司、ちゃんと先生してるなと思って」
 何を言うかと思えば。
「楽しそうだよ」
「馬鹿言うな」
 すぐに否定して、何となく目を逸らす。全ては寛の狂言に乗せられ、不本意でやっていることだ。
「いいと思う」
 いつの間にかパソコンを操作している準が、小さく言葉を紡ぐ。
「結果として全員が楽しんで得してるんだから、これはいいことだと思う」
 楽しんでいる、か。確かに、あの青葉でさえ折れて関わって来たしな。俺自身も……正直に言えば、まんざらでもなかった。
「顔、にやけてる」
「何!?」
 ハッと反応したが、よくよく見てみれば準はモニタの方を向いたままだ。
「しまった……」
 またもクスッと笑い、今度こそ準はチラリとこっちを向いた。
「よかったね、司」
「…………」
 返す言葉がない。やがては離散する、一時的な家族の中で。俺が恐れているのは……。
「まあ、な」
 だがしかし、この小さな楽しさぐらいは認めてもいいのかもしれない。ほんの数週間、僅かな接点を以って共有した小さな幸福。それが離れられない大切なものにまで大きくなるのは嫌だが、これくらいならば――――。
「司は、あんまり無理しない方がいいよ」
 まだ心の中で正当化する理由を探している俺に、そっぽを向きながら準は言う。
「そうだな」
 目くるめく思考を、その言葉に従ってやめることにした。
「無理して借金も返すことはないよなぁ〜なんてな」
「……挑戦と受けるべき?」
「……いえ」
 冷ややかな準の視線に、ふざけすぎたことを反省した。








「お、準。やってるのか」
 全員への講習が終わって数日が経った休日のことだ。空いている時間に代わるがわるパソコンを利用するようになった高屋敷家。その中でも特に使用が多いのは準と末莉だ。準はインターネットを通して新たなビジネスを目論んでいるそうだが、俺はその方面にはサッパリだ。
「うん。ちょうど一区切りついたとこ」
 カチカチとマウスを操作し、ブラウザを閉じる準。
「司こそどうしたの?」
「ん、いや。先生にホームページの制作を命じられててな。それのお披露目の日なんだ今日は」
 俺の後ろには悪の権化、青葉大王が憮然と佇立していた。
「っつーわけで、ちょっと代わってくれ」
「分かった」
 席をどく準と入れ替わりに、俺が席に着く。隣には青葉が座り、準は春花のベッドのところまで下がって腰掛けた。
「さぞや美しいデザインにしたんでしょうね」
「それは保証しかねるが、とりあえず絵と掲示板は前に設置した」
 マウスを操作し、青葉の絵画展ページを開く。
「今何か、おかしな単語が見えたのだけど」
「気のせいだろう」
 トップページから一瞬で移動し、掲示板を開いた。危うく俺が“地獄絵図”というピッタリのページタイトルをつけたことがバレてしまうところだった。
「げっ」
 しかしその掲示板は大盛況だった。書き込みがいくつか行われている。
「感想かしら。ちょっと見せて」
「やめておいた方が……」
「どうして?」
「いえ、何でも」
 俺は知らんぞ。書き込みの内容をクリックして開く。準は既に部屋から逃げ出しているようだった。


No.0011
投稿者:通行人
題名:恐ろしい
 どうしてくれるんですか。このページを見た息子が卒倒し、今は病院で意識不明の重態になっています。このような最悪の呪われた絵をインターネットで公開しているなんて正気の沙汰ではありません。今すぐに閉鎖して、全面的に謝罪、賠償をするべきです。管理人の方は公正な判断をどうかお願いします。


「あわわ……」
 何てことを書き込んでやがるんだこの野郎は。そんなに挑発したら今度は息子が卒倒どころじゃないぞ。
「司」
「は、はい!?」
「これに返信はできるのかしら?」
「一応」
「そう。じゃあ言う通りに書いてもらえる?」


No.0012
投稿者:管理人
題名:死ね
 貴方の息子が卒倒したのはそうなるべきであったからです。貴方のような美的感覚の片鱗すら窺えないような屑が世の中にのさばっていること自体が罪、その咎を見かねた神様か何かが貴方の息子を重態にしたのでしょう。重態などではなく即死だったらよかったものを、貴方がたは非常に運がいいです。馬鹿は遺伝するそうですから、他に血縁者や家族がいるようなら共に死んだ方がいいでしょう。今後貴方がたが私の半径一万キロ以内で生命活動することを全面的に禁止します。


 クールだ。このような殺人的な罵倒を俺が綴ったというのか。脅迫とはいえ恐ろしい。
「ふん、下らないわね。もう私行くわ」
 ご機嫌斜めな悪魔が去っていく。ポツンと俺は独り部屋に残された。
「どうだ司よ。物事に本気で取り組む家族の姿というものは美しいだろう」
 と思いきや、気配も漂わせずに俺の背後から既知外が現れた。
「今のに限っては恐ろしいだけだろ。それにあいつは本気で取り組んでなどいないぞ」
「ふむぅ。時に司よ。私もしばしばこの娯楽に興じ、幾許かのブックマークを保存していたのだが、どういうわけか全て消失しているのだ。何かそれに関する情報を知らないか?」
「あんなもん全部消したわ」
「何とォッッ!? 一晩かけて収集した私のコレェェクショォンをッ!? ひどい、ひどすぎるぞ司よ! それがお前を今日まで大事に育て上げた父に対する仕打ちかッ!」
「育てられてなどない! 加えてそっちこそ、それが末莉や春花が寝てる横で夜なべしてすることか!!」
 そこらにあったCD−ROMを適当に投げ放つ。しかし奴はいとも簡単にそれを回避し、天井に貼りついた。
「うわぁぁぁん司の馬鹿ぁ!」
「気持ち悪い泣き方すんな! 降りて来いこの外道!」
「フハハハハハッ! この恨み、いつか晴らしてくれよう。床に就いていようと厠にいようと、今後一切気を緩ませぬことだな」
「かといって哄笑するな!」
 俺の投げるCDはあちこちに手裏剣のように刺さっていくが、それでも一度も奴を捕らえない。そしてもう部屋内に奴の気配がなくなったところで、椅子に座って一息。
「ふぅ。全く……」
 きっと奴の思惑通りに事は進んだのだろう。だが決して悪い気はしなかった。そんな昼下がりだった――――。

戻る