生者のおにぎり
うんこみたいな世の中だと前々から思ってたが、それでも昔の方がよかったと俺は言いたい。そりゃ不況だなんだ失業率がどうしたこうしたボランティア活動とかしてた経歴があった方が面接で有利だのと大学の就職相談所みたいなとこのアドバイザーのオッサンにつまらなそうに言われて背広着てあちこちの求人説明会に走り回ってた頃のことを、うっとり顔で懐古するわけではない。でも北の将軍様にテポドンぶっ放されて日本壊滅でーすワーイって今よりは超マシだろう。
今も昔も時事になんか全然興味ないけど、それは自分の生活にほとんど関係なかったから。Do As Infinityは「変わるのは財布の中身だけじゃん」って歌ってたけど、俺の場合はそれさえなかった。仕送り額は月々決まってたし。下らん話は、やれ誰それがどこそこの教授とデキてるとかそういうもんだけで十分だった。そんなしょうもない話聞いたりボランティア活動なんぞしてるぐらいなら、家でオナニーでもしてる方がよほど有益だった。もう精液が出なくなるぐらい繰り返しオナニーを楽しむべきだった。
そんなこと言ってるから俺は内定全く出なかったし留年スレスレだった。だからそのままなし崩し的にフリーター生活に突入したのだが、今はそんなこと何も関係なく遠い世界の物語になってしまった。何せテポドンですからね。北の国ナメてた。あのボケは何をするかマジ分からんキチガイである、中国も北朝鮮も韓国もアメリカもみんな頭おかしいんだってことを俺らはもっと早く気付くべきだった。ヒュンヒュンヒュン、ドカーン! おいおい日本は技術大国じゃなかったのかよミサイル迎撃しろよ平和ボケしてんじゃねーよとかツッコむ間もなく日本は何の前振りもなく撃たれまくりましたとさ。自衛隊がどうとか言ってる場合じゃなかった。チョンはどうせ喜んでるんだろうし、チャイも13億人で「やられたのが我々じゃなくてよかったアル」って斉唱してるだろうし、コメリカも間違ってもう一回GHQ持ってきたりしかねない。
とにかく日本はあらかた焼け跡になり、半ニートしてた俺も保険会社で内定出て自慢しまくってた同期生もみーんな立場がリセットされて難民状態になってしまった。財布の中身どころじゃない。幸い俺の住んでる辺りは物理的な被害はなかったけど、電気や水やガス、電話なんか全部シャットアウトされて大打撃。建物が瓦礫になってるかそのままなのかの違いだけで、どこも似たような状況だった。夜になっても空は赤い。なのに周りは真っ暗だ。街の灯りというものがいかに夜の闇を緩和していたかが分かったが、その灯りに再び出会うことができるのは俺がもうジジイになってしまった頃かもしれない。
そんなボロボロの日本だったけど、だからといってみんなも周りに合わせてボロボロというわけではない。いや結構ボロボロだったんだけど、ボロボロならボロボロなりに色々やることがある。社会というものは皮膚のようなもので、擦り傷が出来てもやがて仮の皮膚としてかさぶたに覆われる。かさぶたの社会が今、俺の周りで動きつつあるのだ。日本の政治家が今どういう顔色でどこで何をしているのかは分からないが、まあ知りたくもない。だがこんな状態でも一応職業というものはあって、俺はその一つに従事している。応急処置の社会の中に俺は組み込まれていた。目の前にやるべき仕事があることによって俺はアナーキズムに走らずに済んで、とりあえずはそれでよかった。
だから今日本で唯一機能しているメディアを受信する職場のラジオも、俺はほとんど聞いちゃいない。東京では人が死にまくった、大阪も札幌も博多も仙台も名古屋もやられた、ここ神戸もだいぶやられた、ミサイルの弾頭が何とかって仕組みでハイテクだったお陰で被害は拡散して全国やばい。と周りの生き残りは時々情報を口にする。しかし俺にはどうでもよかった。バカが要らんことをしたお陰で俺の生活はグチャグチャになり上京して保険会社に入社した同期生もグチャグチャになり疋田 の生活もグチャグチャになったのだ。
「オダさん、そろそろ行った方がええと思いますよ。時間でっせ」
プレハブのドアを開けて疋田が入って来る。時計は疋田が居たラジオのある部屋にしかないから、仮眠室で呆けていた俺には時間の感覚がなかった。
「ふぁ、オダさんこんなとこでぼーっとせんと、こっちで一緒にラジオ聞いたらいいですのに」
「ええんや。興味ないから」
「でも今あれ聞いとかんと今後何起こるや分かりませんよ。あー今度所長に会ったら電池もらっといてくれません? ボクの方が先会うたらボクが言うときますけど」
「分かった。リヤカーは裏?」
「あ、はい。ボクの分はもう作業しときましたんで、すぐ使えます」
「分かった。じゃあ行ってくるわ」
「お気をつけて」
俺はくされソファから立ち上がり仕事へ行く。そのまま疋田とすれ違って外に出ようとしたが、俺は疋田の身体に異変があるのに気付いて足を止めた。
「お前その腕どうした?」
「ああ、これですか?」
疋田は腕時計でも見るように肘を曲げた。
「なんや、肌の色がなかなか戻らへんのですわ。指で押したりすると白くなったまんま、昨日ぐらいから」
「指で?」
疋田の腕には、斑とも言いがたい変な形で血の気がない部分とある部分の模様が描かれいていた。
「いや指で押しただけやなしにですね、なんや圧迫したらこうなるんです」
「むくんどるんか?」
「そうやないんですけど……よお分かりません」
「お前、何かの栄養足りてへんねんでそれは。飯食ってへんのか」
「給料の分はちゃんと食ってますよ。でもオダさん、そう言うたかて他に食うもんなんかありませんし、栄養とか言うてる場合やないですよ」
「まあ、そうか。でもそういうのってな、確か内臓系の病気に関係しとんねん。お前、医者行った方がええで」
「医者言うても大阪まで行かなあらへんでしょう。仕事休んで行くほどボク余裕ないんですよ」
「でもお前、それでもっとひどなったら元も子もあらへんぞ」
「うーん、そらそうなんですけど、まあもうちょっと経って治らんかったら行きます」
「そないせえ。じゃあ行くわ」
「はい」
今度こそ裏口に出た。
俺が疋田を同僚としてやっているその仕事というのは、死体集めだ。といっても伊達や酔狂でそんなクソ下らんことしてるわけじゃなく、むしろこれはキチッとした国営の事業なのだ。まさかフリーターしてルンプロ一直線の道を辿っていたこの俺が国家公務員になるなんて! って喜んでいる場合でもないし嬉しくもない。
こっぴどくやられた首都圏や都市部は相当の被害を受けていて、死者数多。今の日本の人口がどれくらいまで減ったのかは知らない。自殺者が結構出ているとも聞く。もちろん直撃食らったところは広島・長崎のアトミック・ボムよろしく惨憺たる有様なのだろうが、原爆とはまた勝手が違っていてこちらは放射能なんかはない。その代わり60年間の科学進歩が功を奏して、破壊力は抜群で人は一杯死んだ。建物も一杯壊れた。県庁とか高層ビルはメタメタに壊れてもう瓦礫の山だが、俺の住んでた今にも倒れそうだったあばら家アパートは何故か助かっていて意味不明。さすが将軍様特製のテポドンドン、意味の分からなさは折紙付きだ。
というわけで瓦礫の山と共に死体の山もそこら辺にたくさんある。当然ながら人間の死体というのはこのクソ暑い夏ではすぐ素敵な香りを放つわけで、それは何とか街の復興をしようという国の邪魔になる。そこでまだ被爆後間もない混乱黎明 期である今からもう死体の撤去を展開しなければいけなかろうというわけで、この死体集めプロジェクトが国によって結成された。正直食糧がほとんどなく供給の目途も立ってないこの世紀末ワールドで、給料として食べ物が配給されるというのは大変ありがたい。人間食わねば死ぬ。背に腹は代えられないということで、ズレているとは思いながらもそうした国の企画に俺は乗った。
リヤカーを引きながら所定の区画を回り、落ちてる死体にタグ用紙を貼り付けて必要事項を書き込んで荷台に乗せて回収する。一部しかないものにもそれぞれタグを貼って回収。蝿は飛び回るし妙な虫やカラスも居るし後半になると荷台はクソ重くなるし暑いし臭いし死体、死体、死体だしで、段々と苛々して死体を荷台に積む作業も荒っぽくなる。もうヒトの尊厳もクソもあったもんじゃない。だいぶそのグロさには慣れたつもりだったが、あの手この手で俺を脅かそうとしているかのように毎回新手のグロさが俺を襲う。カツオブシを焦げるまで炙 ったような状態の死体もあれば、顔面に岩石が突っ込まれていてひしゃげて顔全体が梅干し食った時の口の形みたいになってる死体、皮膚がぬるりと剥 げ落ちて白い骨が見えている死体など、バリエーションは豊かだった。心臓に悪い。もしかしたら今までに、死体だと気付かないほど変形していたためスルーしてしまった死体もあったかもしれない。それは業務上過失っぽいが、そこまで遵守する必要も可能性も現実性もない。多分、このプロジェクトを指揮した奴だってそんなことは望んでいないと思う。焼け野が原になった自分の国を見てとにかく何とかしなくちゃ何とかしなくちゃと大慌てしてこんな仕事を設けてしまったのだと思う。本当に冷静に必要なものを作るなら、死体なんか集めてる場合じゃなくてもっと他にするべきことが一杯ある。でも俺や疋田はそれが秩序っぽいものだというだけで簡単に乗ってしまった。でもそれでいいんだ、別に。
人間というのはかなり重くて20人も居れば普通に1トン行く。だから何度か事務所に引き返して死体を区分けして整理してまた出てこなければならなかった。体力の勝負だった。といっても被災生活でロクなもん食ってない俺にとって、その作業は楽じゃない。体力なんて衰弱していく一方だ。配給される食糧は乾パンとか水とか僅かな缶詰だけで、新鮮な肉とか野菜が不足している。だから鉄分やビタミンA・B・C・D・X・Y・Zが不足しているんだろう。でも織田 君、足下を見てごらん。新鮮な肉がたっくさん転がってるじゃないか。いやいやいやいやそれはあり得ないしでもちょろーんと考えたことはあるけどでもやっぱそれってヤバいじゃんっていうか何の病気になるか分かんないじゃん腐ってるし新鮮じゃねーし、でもでもでもでも織田君、君は疋田みたいに意味不明の指跡クッキリマンになりたいのかい? 栄養不足で内臓の病気になって訳分かんない死体の一つになりたいのかい? 嫌だぁぁぁぁ嫌だぁぁぁぁ死にたくないよぉぉぉぉ、じゃあ体力つけなきゃ。嫌だぁぁぁぁカニバリズム嫌だぁぁぁぁ口の中でクチュクチュバーン! という妄念はもうええねん。藁藁藁藁糞藁禿藁。ということを考えながら俺は荒野を駆けずり回っているのだった。
ある日、ぜいぜい言いながら汗を滴らせてリヤカーを引っ張っていると、久しぶりに生きてる人間に会った。それはもちろん荒野の中での話だ。今までも稀に政府の調査機関っぽい人とか物荒らしっぽい人とかフラフラして迷い込んだだけって感じの人に何回か会ったことはあるが、今回ウロウロしているのはチビの女の子だった。餓鬼 がこんなとこで何やってんだ、多分文字通り餓えて幽鬼のように徘徊してるんだろう。親はどうしたんだろう、多分死んで孤児だな。などと勝手に自動的にマイ解答が組み上がっていったが真相は分からず、女の子はゴソゴソと瓦礫の山の周りでコンクリートの欠片を動かそうとしたり死体の顔を覗いてみたりと非常に教育的でないことをしている。でも中学1年か2年ぐらいに見えるその子に重いコンクリート片が動かせるわけはないし足取りも覚束 ない。きっとまともに飯が食えてない浮浪児なんだろうという当初の予想はいよいよ信憑性を増していく。でもいつもむさい所長とかキモい疋田とかその同僚とか山賊みたいなオッサンばかり見ている俺にとって、自分より随分年下の子供なんてほとんど目にしたことがなかったのでやおら興味が出てきた。
「何しとんや?」
5メートルぐらいの距離までリヤカーを引いて近付いても女の子は気付いてないのか気にしてないのか逃げる様子はなかったので、俺は声をかけた。
「こんなとこウロついてたら危ないで」
何を隠そう今一番危ないのは俺だろうが、俺はちゃんと女の子への心配とかそういう慈愛の心を持ち合わせていた。
「……誰?」
女の子は瓦礫を漁る手を止めてこっちを見た。随分背が小さいが着ている制服からこの近くの中学生だと分かる(俺の出身校だったからだ。俺は制服マニアなどではない!)。腰と肩の間ぐらいまで伸びた真っ黒なロングヘアーは毛先が縮れていてかなり痛んでるようだった。目の下も隈ができていて顔や手や足は煤 だらけですごく汚い。そのくせ目つきだけはギラリとしていて、どことなく精悍な印象があった。
「俺は仕事でこの辺を回っとう織田いうもんや」
「分かった」
そう返事をして、女の子はまた瓦礫に向き直った。
「なあ、こんなとこで何しとんや」
それきり俺をすっかり無視して作業を再開してしまったので、俺は拍子抜けしてしつこく訊 いた。
「ここ、泥棒みたいな奴が結構おって、子供が一人でウロウロしたら危ないんやで」
「泥棒って、あんたのことやろ」
「ああ? 何で俺が泥棒やねん」
「さっきから死んでる人を車に乗せてパクってるやん」
「これはパクっとんやなくて、仕事なんや。国からな、死んどる人を集めて一箇所に固めるように言われてるんや。好き好んでこんなんしとるんやない」
言いながら自分でもロクなことしてないのに気付いたので、台詞が妙に言い訳じみたものになってしまった。
「そんなん知らんわ」
「何や、そう言うお前こそ何しとんやって訊いとうやろが」
すげなく言い返されて、俺はちょっとむかついて語気が荒くなった。
「飯でも探しとんか? それやったらこんなとこにはあらへんで。あっても腐っとる。この辺は元は県庁周りやから、店はコンビニしかあらへん。コンビニなんか賞味期限すぐ切れるもんばっかり扱っとるから、食えるもんはないで」
「うるさいオッサンやな」
再び手を止めて女の子は俺を見た。今度はかなり怒っている目だ。しょうもない見当外れのことばかり言ってしまったかな、と俺はちょっと反省した。
「ウロウロしたらあかんって法律でもできたんか?」
「そんなんないけど」
「じゃあ私の勝手やろ」
「そらそうやけど」
すっかり俺は下手に回ってしまった。別に敵意があるわけではなく、むしろ小さな女の子に対する庇護の感情を持って接そうとしているのに、女の子はかなり手厳しい。それは警戒しているというより、単に鬱陶しそうだった。
「なあ、俺は別にお前に文句言いに来たとか、邪魔しに来たんとちゃうんや」
「しとうやん」
「いや危ないでって教えに来たったんやって」
「そんなん分かっとる」
「何しとるかぐらい教えてくれてもええやろ。何やったら俺も手伝ってもええし」
俺は自分で出任せを言ってるなと思った。とりあえず友好的なことを示して態度を軟化させようとは思っていたが、具体的に何か手伝いを頼まれたら困る。
「…………」
でも女の子は「じゃあ何々して」とは言わなかった。ただ黙って値踏みするように俺の顔をジロジロ見て、そしてやっぱり作業に戻った。
「私もあんたみたいなもんや」
「は?」
「私もあんたみたいなことしに来たんやって言うたんや、オッサン」
「何やそれ」
「何やそれやない。ミサイルが落ちて来た時、私は学校におって無事やった。でも私のお父さんとお母さんは県庁で勤めとったんや」
うわー、と俺は思った。一番最初にこの女の子を見た時に両親は死んだんだろうと当たりはつけていたのに、それでも俺は思わず「げっ」と言ってしまった。
「何が『げっ』や。私がずーっと中学におってもお母さんもお父さんも来 んってことは、きっと二人とも死んでしもたんや。そしたらこの下におるはずやろが」
俺の『げっ』から俺の考えを読み取ってしまった女の子は、そう説明した。そして女の子がゴソゴソしている一際大きい瓦礫の山は、確かに元県庁だった。
「たまたまその時は外におって、もしかしたらそこで助かってるんかもしれんし、そこで死んどんかもしれんけど、多分……」
多分、ここに埋まってるんだろうな。
「でもお前、こんなでっかい山、お前一人で解体できるわけないやろ」
俺はクソしょうもないことを言った。
「何階建てやったか知らんけど、崩れた今でも人間の何倍もあるんやぞ」
「…………」
「下手に動かしたら崩れてくるかもしれんし。危ないって」
「…………」
女の子は何も返事しなくなった。俺もそれ以上言葉は継がなかった。
コンクリートの断片の大きさはマチマチだが、大体平均して一つ50cm四方ぐらいはある。厚さは5,6cmは優にあるし、とても中学生女子が満足に動かすことのできる物ではない。それが何百何千何万個とあるのだ。そしてその中には元机や元椅子、元ボールペンや元窓ガラスが混じっていて、元人間や元女の子の両親も含まれている。女の子は元女の子の両親を求めて、元県庁を解体していく。眩暈がした。
「別に法律はできてへんけど、もうやめとけよ」
俺はそう言い残して、元人間の入ったリヤカーを引いて立ち去った。
それはただ荒み切った俺の日常においてたまらなく鮮烈な出来事であったらしく、俺は仕事がない時にしばしば女の子の居た県庁エリアに足を運ぶようになっていた。初めて会った時から3日後に一度行った時には居なかったが、1週間経った時にもう一度行くと居た。前と同じように瓦礫の前でゴソゴソうごめいている。俺の警告を聞きやがらなかったんだなと思い、俺の警告を聞かずにいてくれたんだなと思った。初日に散々阿呆なことを言ってしまったので何となくもう一度声をかけるのは憚られたのだが、俺の興味はそれをひょいと上回って足が自然に女の子の方へ向かった。
彼女はやっぱり頭がよかった。今回は前と違って色々と道具を持ち込み、効率的で適切な方法によって瓦礫の山を紐解こうとしていた。太い鉄の棒を瓦礫の隙間に差し込んで体重をかけている姿は、テコの原理という懐かしい概念を蜘蛛の巣が張った俺の脳みそに去来させてくれる。はて、俺が大学で習った線形代数や統計学は、この女の子の両親を探し出すのに何らかの貢献をするだろうか。
しかし同時にこの女の子は阿呆だった。小賢しい科学で以ってそのビルの残骸に与しようという行為そのものが、果てしなくナンセンスだった。あらゆるものが意味を失ってグチャグチャのゴチャゴチャになってしまった混沌の塊に、そんな小手先の理性が対抗できるはずはなかったのだ。彼女は限りなく原始的で、反射的で感情的で排他的で神聖的な方法によってその行動を遂行するべきなのだ。半端な怜悧 さが彼女の真摯さを著しく損ねている。足が重くなった。
「また会ったな」
しかし阿呆さで言うなら俺の方が相当だった。まめに通い詰めて探しておいて、何気ない邂逅 を装おうとする俺の方が余程惨めでカスで間抜けで歯糞だった。
「……何?」
鉄棒にぶら下がったまま女の子は俺を見る。1週間前より窶 れているようだった。
「余計に危なっかしいことしとんなと思って」
「放っといてよ」
「いや、そういう管理も俺の仕事やからな」
嘘もいいとこだった。俺がするべきことは死体回収だけであってその管轄の安全管理ではない。女の子が転んで大怪我しようが関係ないし、もし崩れた瓦礫に潰されて彼女が死体の仲間入りをしたら、俺はタグに場所を書いてそれを彼女のおデコにキョンシーのお札よろしくペタンと貼り付けてリヤカーに乗せればいいだけだった。
「お前、飯食ってへんやろ」
「あんたには関係ない」
「まあそう言うなや。ほら、おにぎりやるから」
俺がそう言ってポシェットから飯の包みを取り出すと、棒をギシギシやってた女の子の動きが止まって俺を、いやおにぎりを見た。
「何でそんなのくれるんよ」
「あ?」
「あんたにそんなことしてもらう義理なんかない」
「ふーん」
そんな高楊枝なことを言いながらも腹ぺこ本能には逆らえないというか、彼女の中でどれ程かの衝撃となってそのおにぎりが飛び回っているのか知らないが、女の子は明らかに興味を示しておにぎりを凝視している。
「でもな、お前がしとうことは一応俺らのやっとることと同じわけでな、それに見合う報酬は受けてええと思うんや」
「え?」
「俺らはお前みたいにそんなビルの瓦礫漁ってまで死体を見つけることはせんし、言われてもないけどな。まあ何でもええやんけ、食いもんやる言うとんやから、もろとけや」
女の子はおにぎりから目を逸らして自分の胸元を見つめて何か考えている。
「そら、貰えるものは欲しいけど……でもやっぱ要らんわ」
「何でや」
「私は別にあんたにそんなもん貰うためにしてるんとちゃう」
「何でやねん。そんなんどうでもええやろ」
「どうでもよおないわ」
「ほんじゃお前は何のためにそれをしとんねん」
「……そんなん分からん」
「そんな訳ないやろ。そんなシーソーみたいなもんまで持ってきて。分からんでそんなことせんわ。今時誰もそんなことせん」
「知らんわ」
既に女の子は涙目だった。中学時代、彼女と同じ制服を着た内気な女の子をクラスの悪ガキどもと一緒になっていじめていた時のことを思い出した。何でこんな分かりきったことを彼女に言わせようとしているのか一瞬考えて、俺は思い至った。多分むかついたんだろう。おにぎりを受け取らない彼女に。
「私のな、お母さんが……」
「分かっとるわ。でもええからとにかく食ったらええやろが。でないとお前もホンマに死ぬんやぞ!」
「お父さんが……」
「県庁の中からおかんとおとんを掘り出そうとしとんやろが。力が要るやろが。ほんなら飯食わなあかんのちゃうんかい」
それはつまり、『死体を一箇所に集める』俺たちの仕事と同じ行為なんだよ。クソ朝鮮に爆撃されて、意味不明キショキショフリーターからキショキショ死体コレクターになった俺がやってる意味不明ジョブと同じなんだよ。お前は俺と同じことをしてるんだから、お前もこのおにぎりを食えよ。俺たちと同じ、このおにぎりを、食えよ。
いやいや違う。俺はこの女の子を応援したい。もし発掘作業に必要なら、カイ二乗検定や集合論を教えてやってもいい。彼女には俺みたいなキショキショになって欲しくなくて死んでほしくなくて回収されてほしくない。だからおにぎりを―――
「食えや!」
「嫌や!」
「意地張っとる場合ちゃうやろが!」
「嫌や!」
「クソ下らんでかい道具一杯並べやがって、仕事の邪魔なんじゃ! どけやそこ!」
「嫌や!」
「ボケ!」
「嫌や!」
俺も女の子も顔を真っ赤にしてブチ切れて、無駄すぎる体力をその辺に大量にばら撒いてギャンギャン叫んでいた。女の子にたかがおにぎり一つ食わせられない自分がむかついて食わん女の子にもむかついて脇に置いてある工具箱のノミやハンマーの鈍い光にもむかついて仕方がなかった。
「ほんなら勝手にせえや!」
「するわ!」
俺は頭から湯気でも出そうなぐらい熱くなりながら啖呵 を切って、貴重な貴重なおにぎりを兵庫県庁の残骸へ力任せに投げつけてリヤカーを引きずりながらその場を逃げ出してしまった。
それでも懲りずに俺は女の子の居た県庁前に通い続けたが、三度目の邂逅はなかった。俺はずっと反省と後悔をしていた。別にあの時は彼女におにぎりを渡そうと思ってあの場に赴いたわけではなく、ただ昼飯として携帯していたおにぎりをあげようかなって思いついただけなのに、あんなことになるとは思わなかった。あんなことって人ごとみたいに言ってるけど結局俺が全部の原因だったわけだから反省反省……と思いながらもう毎日顔を出しているがあの女の子は居ない。彼女の避難居住地であり俺の母校である中学校の方も見に行ってみたが居なかった。ひょっとしたら死んでしまったのかとも思って死体置き場の県庁ブロックや中学の辺りのブロックにも行ってみたが、それらしき子は居ない。忽然と姿を消してしまって俺は少なからず動揺していた。
同時に疋田が欠勤するようになった。今時分、バイトが来なくなったぐらいで捜索が始まるほど誰にも余裕はなかったが、俺は疋田の家に行ってみた。俺のアパートと同じような倒壊寸前の安普請 だった。ドアをノックしても返事はない。ノブを回すと鍵はかかっておらず開いた。
ドアを開けると同時に鼻先へ腐臭が漂ってきた。俺は疋田が死んだことをその瞬間に悟ったがそれだけではなかった。疋田が死んでいた六畳の部屋には、あの女の子が居た。死んでいた。俺は暫く唖然としながら濁った目をした女の子と目を合わせていた。女の子は全裸で、縄で両足を縛られ両腕は後ろ手に縛られ、柱に括 り付けられて座っていた。小さな胸の下にはあばら骨が浮き出ていて、どう見ても餓死だった。陰毛が生えかけた股ぐらの下では、精液らしき乾いたパリパリの跡が広がっていた。
疋田の方は畳の上で蝉みたいに仰向けで死んでいた。皮膚が青黒くなっていて、こっちは病死のようだった。俺の忠告にも関わらず疋田は医者に行かなかったに違いない。そして仕事の最中にこの女の子を見つけて拉致して監禁して自分の部屋で好き放題しているうちに病気で死んだのだ。窓からの直射日光が当たる分、疋田の方はだいぶ腐っていた。かなり臭かった。
俺は女の子の前に屈んで、頬をそっと撫でた。カサカサしていた。後ろ髪に指を入れて軽く梳 こうとするとやはり乾いていて摩擦の抵抗が激しく、所々髪が団子のように絡んでいるらしく途中で引っかかった。力を入れるとプツリと髪が千切れて畳の上に落ちた。半開きになった口の中に指を突っ込むと少し湿っている。俺はそうして女の子の死体を弄くりながら涙を流していた。悲しかったわけではないしどうしてこんなことをしているのか自分でも分からなかったが、俺はこの子が、俺の放り投げたおにぎりを拾って食べたのかどうかを考えていた。